親なるもの断崖 実話 大正末期の幕西遊郭

大日本帝国の条約加盟

1925年(大正14年)10月 大日本帝国 「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」に条件付きで加盟

これをきっかけに内務省は公娼制度改革に着手することにしたんですよ。内務省は警察の上位機関でしてね。そして警察が政府公認の遊郭を管理・監督しておったのです。

警察屋さんたちは貸座敷業者の法律違反をこれまでとは比較にならないまじめさで取り締まるようになったのです。さらには管理下にある遊郭に娼妓の待遇改善などの改革を要求し始めたのです。

北海タイムスの報道

大正15年8月 幕西遊郭は警察署長から提示された娼妓待遇改善案を了承。北海タイムスは「籠の鳥の娼妓連。署長の大英断と楼主の態度に心から感謝」との見出し付きで報道したそうです。ソースは昭和59年に出版された「北風に遊女哀歌を聴いた」(総北海出版 川嶋康男著)だよ。


幕西遊郭の改革案

公休日の制定 (年4日 2月・5月・8月・11月)
娼妓の食費は全て楼主負担・入院中も例外なし
娼妓が支払っていた家賃の廃止 
年二回の大規模慰安会を春と秋に実施
毎月小慰安会を開催
裁縫・編み物・作法・読書・習字・算術を教える塾を始める(学習時間は午後1時から4時 日曜・祭日・公休日は休み)


売れっ子女郎ほど恩恵を受ける待遇改善もありましたぜ

借金を三年以内に完済し廃業した娼妓には楼主から50円支給
借金を三年以上かけて返済した娼妓には150円を楼主が支払う

150円の退職金がもらえるケースはおそらく返済した金額が三年以内で完済した例より高額なんでしょう。前借金の額が多いほど返済期間が長くなりますので。幕西遊郭の女郎は廃業の際に退職金をもらえたんですね。

積み立て貯金

退職金以外にも就労期間に応じて金銭を授与することなりました。女郎一人につき毎月1円を楼主が貯金。女郎が店を辞める時にその貯金を手渡す。借金を完済せずに鞍替え(別の遊郭への移籍)をした場合でも積み立て貯金は受け取れますね。幕西遊郭の店に3年(36カ月)務めていたなら36円は貰えるわけ。


灯の女・闇の女(草間八十雄 著 昭和12年刊)

娼妓の経済状況を調べたデータがあります。貯金ができたお女郎さんの比率は17・5%にすぎません。しかもその平均額は43銭ですぜ。異例の優遇策です。


客が支払った飲食代の5パーセントを娼妓に還元

女郎が彼女を指名した客たちに一か月で合計100円酒や料理を注文させたら、そのうち5円が女郎の収入になります。

条件付き利子の免除

三年以上幕西遊郭にいた娼妓が鞍替え(他の遊郭への移籍)をする場合は借金の利子を免除する

報奨金支給制度の導入

三か月間主席を務めた女郎には三円・六か月間なら5円・九か月なら七円・一年だったら10円の報奨金を楼主たちが加盟している遊郭の組合から支給されます。主席が各店の御職(売上ナンバーワンの女郎)なのか、幕西遊郭で一番稼いだ女郎なのかは「主席」の定義が説明されてなかったんで分からなかったです。遊郭一の売れっ子はもちろん御職の座も守り続けるのは難しいのでこれはパフォーマンスぽい改革案ですね。

娼妓の揚代を増加

女郎の売春料金(揚代)は楼主と女郎で折半しておりました。折半率は地域ごとに異なります。幕西遊郭は女郎が受け取る揚代一件につき10銭多くすることにしたそうです。しかし楼主は揚代一件当たり10銭収入が減ってしまいます。


楼主の不正と搾取を防ぐ改革案も出たよ


貸借算帳のチェック

毎月警察官が娼妓の謝金の残高をチェックすることを決定

追借金の確認

女郎が追加で借金をする場合その借金を追借金と呼んでいました。女郎が先月の収入の半額を超える追借金をしたら警察署に届け出ることになりました。


幕西遊郭業者の不運


大正後半から昭和初期にかけてのことですが、プロテスタント系キリスト教団体救世軍の支部が幕西遊郭の入り口付近にありましてね。救世軍は公娼制度の廃止を目指し、娼妓の救済活動を明治時代からやっておりました。救世軍は本部がイギリスにあり現在も世界各国で活動しております。雑誌・書籍を発売するなど宣伝力もありました。早稲田大学を創設し総理大臣にも就任した大隈重信も救世軍の賛同者だったんですわ。

幕西遊郭の楼主さんたちは、救世軍が室蘭に居座っている間は約束を守らざるを得なかったと私は推測しています。貸座敷業界への規制強化とバッシングは、公娼制度廃止を目標にしている個人や団体とのトラブルや裁判がきっかけになることがあったんで。約束を守らないと救世軍に格好の宣伝材料を与え、貸座敷業界への逆風がさらに強まるもんね。


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福島県の〝平遊郭〟とその時代 - おやけこういち, 渡辺豪
福島県の〝平遊郭〟とその時代 - おやけこういち, 渡辺豪


明治39年に被害額100万円から200万円という大火災で壊滅した平町(現いわき市)は復興手段に遊郭の設置を選択。32ページという短さで平遊郭の誕生から終焉までの歴史がわかりやすく解説されております。田舎の遊郭も時代の影響をもろに受けておりました。明治40年の平町の年間予算は三万五千円で、町有地に作られた遊廓の店が支払う賃料は年間約1500円だったんだって。遊郭の設置は復興手段として極めて有効な手段ではありましたね。





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