ものいわぬ娼妓たち―札幌遊廓秘話 (1984年) - 谷川 美津枝
親なるもの断崖の隠し部屋
足抜けに失敗したり梅毒患者の女郎を通常の半値で買える場所。富士楼の隠し部屋は大きな建物。仕切りのない大部屋で客は女郎を抱く。隠し部屋がどこにあるのか、そこで何が行われているかは、室蘭住民たちは知っている。
聞き書・…
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大日本帝国の条約加盟
1925年(大正14年)10月 大日本帝国 「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」に条件付きで加盟
これをきっかけに内務省は公娼制度改革に着手することにしたんですよ。内務省は警察の上位機関でしてね。そして警察が政府公認の遊郭を管理・監督しておったのです。
警察屋さんたちは貸座敷業者の法律違反をこ…
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特装版「親なるもの 断崖」(1) (フラワーコミックス) - 曽根富美子
幼な女郎梅11歳
これありえねー設定ですから!当時の法律(娼妓取締規則)で満18歳以下の少女を公娼にするのは禁止されていたんで。娼妓になる手続きには2つの警察署と役所が関与していたんですわ。
娼妓鑑札取得の手続き
1 本籍地…
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岡本監輔の勧誘
明治24年、突然五郎さんはお店を売ってしまします。岡本監輔に協力するためでした。ロシアと樺太・千島交換条約が成立していました。ロシアの脅威が薄れ、千島列島を開発する絶好の好機が到来したのです。
岡本監輔は五郎さんに千島開発をしないかと勧誘しました。五郎さんはお店を売ったお金を元手に千島共済組合を設立します。明…
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土木会社設立
貸座敷業(女郎屋)で成功した前野五郎は新しい事業を起こします。それは土木会社です。土木会社は開拓使勧業の仕事を請け負っていました。岡本監輔と共有して果たせなかった樺太開発を忘れられずに新事業を立ち上げたのかもしれません。
不吉な連想
この事実を知った時とってもイヤーな事を連想してしまいました。タコ部屋…
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札幌の不景気
前野五郎は明治4年に薄野遊廓で女郎屋を始めています。前野五郎の試練は牛馬切りほどき令だけではありませんでした。
明治6年1月岩村通俊の後任松本十郎は緊縮財政を選択しました。開拓使は中央政府から多額の借金をしていたのです。
札幌本庁だけで当時の金額で47万1000円の負債がありました…
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混乱する遊廓
牛馬切りほどき令は、あっという間に空文化したことで有名です。しかしこの法律は日本中の遊廓に混乱を引き起こしました。この法律通りに女郎の借金を棒引きにして解放したケースが続出したからです。そのため楼主たちは窮地に追い込まれます。
さらに借金を棒引きにされ自由になったはずの女郎た…
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札幌の防災政策
薄野遊廓創設の立役者は岩村通俊です。岩村は1840年生まれで、出身地は土佐藩です。維新後は北海道の開拓使で活動していました。岩村は強硬手段で札幌の都市問題を解決しています。
札幌への移住促進を目的として、妻帯した男性に家の建築費100円を貸し出出す政策が明治4年(1871年)実行されます。火災防止…
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明治一桁代の札幌
「そのころは婦人が乏しく、女とあればいかなる醜女(しこめ)でも賎女(せんじょ)でも一向とん着なく」(札幌昔日譚より)
お雇い外国人ライマンさんによると娼婦すら不足していたそうです。
薄野遊廓の生みの親である岩村通俊も病弱な妻を東京に残して単身赴任しておりました。
単身赴任中に…
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マリア・ルーズ号事件
明治5年6月横浜港に寄港中のイギリス軍艦アイロン・デユク号にある清国人が救出を求めました。彼はマリア・ルーズ号(ペルー船籍)から海に飛び込み、泳いでアイロン・デユク号に乗り込んだのです。
231人の清国人が騙されるか誘拐されて苦力(クーリー)になった事とマリア・ルーズ号でペル…
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